「隅田川」の名前は、東京都ユース・ホステル協会前会長であった亡き父・柿沢弘治の強い思いによるものでした、川と街を隔てていたコンクリートのカミソリ堤防を、パリのセーヌ川のような恋人が語らうテラスにしたいとの父の提案により、今の隅田川テラスが誕生しました。私も今、永代橋~清洲橋~柳橋~両国橋~浅草を早朝のウォーキングのコースにしています。江戸っ子の前会長の決断で浅草橋の旧会社寮を取得し、それがインバウンドの流れに乗り、スタッフの皆さんの努力や工夫もあって、短いながらも一時代をつくり上げたと思います。気が付けば周辺は外国人客を見込んだ安価なホテルが急増し、ブルーオーシャンだったのが一気にレッドオーシャンに。逆に先見の明を示したとも言えます。五輪イヤーの2020がパンデミックで入国制限になってしまったのは予想外でしたが、父の思いが詰まった東京隅田川ユースホステルの有終の美を迎えられて感慨無量です。

     一般財団法人東京都ユース・ホステル協会 会長 柿沢未途

2003年8月の東京隅田川ユースホステル開業以来17年にわたり、たくさんのすばらしい出会いと思い出をありがとうございました。今後は『世界中の青少年の見聞を広げ、相互理解と交流を促進する』というユースホステル運動の原点に戻り、協会事業の運営に努めてまいりますので、今後とも変わらぬご支援ご鞭撻をよろしくお願いいたします。